二代目 花柳錦之輔 プロフィール

1941年、祖父の長男として生まれた父は4歳のころから日本舞踊の手ほどきを受けました。1965年、二代目花柳錦之輔を襲名。それまで花柳錦之輔を名乗っていた祖父は花柳寿楽を襲名しました。1987年、『花咲く春』の舞台の後病気加療のため入院しましたが、翌1988年亡くなりました。
松の翁 |
二人椀久 |
保名 | ||||||||
日本舞踊は奥が深く、三十代までは駆け出し扱いで、四十代でやっと中堅と呼ばれ、五十〜六十代がもっとも踊り盛りだろうといわれています。父は自分の踊りを大成することなく、五十歳を目前に亡くなりました。そのことが、いまも惜しまれます。ただ父がその晩年になって踊った『保名』(やすな)、『二人椀久』(ににんわんきゅう)などは、記憶に残る舞台になりました。祖父や父の後を継いでぼくたち二人も日本舞踊家になりましたが、祖父、父を目標に踊っていきたいと考えています。
父は商業演劇の振付(ステージング)で大きな足跡を残しました。蜷川幸雄さんが演出された『王女メディア』、『テンペスト』、『近松心中物語—それは恋』などや、宝塚歌劇団の『永遠物語』など、父が振付を手がけた作品のいくつかは、三代目錦之輔に受け継がれて、いまも舞台にかけられています。


